生命から見はなされつつある現代の女性

  • 2018.07.19 Thursday
  • 16:45

 

「生命から見はなされつつある現代の女性」とは、私が敬愛する平塚らいてうさんが1924年(大正13年)に執筆した原稿のタイトルだ。なんとも、ドキッとさせられるタイトルだ。

 

らいてうさんは、鎌倉の円覚寺で禅の修行をされた時期もあり、霊性についてもよく言及されている。とりわけ、母性と霊性とのつながりを主張されている。

 

いまから94年前に書かれたこの原稿の内容は、2018年現在の女性たちにいまもって響いてくるように思う。いや、いまだからこそ多くの女性たちから共感が得られる内容のようにも思う。

 

(とはいえ、第二派フェミニズムを経てジェンダー教育が浸透した現代社会では批判もあるでしょうが…。しかし、らいてう先生と第二派フェミニズムは根底では同じことを求めているのです。ただ、それが、自己防衛から出ている言葉であるかどうかの違いなのです。)

 

10年前の私が読んだら、どんな感想をもっただろう? 資本主義社会のことは共感できても、母性のことに共感できただろうか?

 

…できなかったかもしれない。そう、私も母性を蔑視とまではいかないまでも、母なるものの負の側面(甘い匂いを漂わせながら大口をぱっくりと開けて吸い寄せて自分の手足にしてしまうグレートマザー)しか経験したことがなかったから。

 

しかし、子どもを産んで、生命の深みを、母なるもののプシケの深みを(ほんの少しでも)知ってしまったいま、私は約100年前に書かれたらいてうさんのこの文章に、魂が震えるほど共感してしまうのだ。

 

ここに、らいてうさんの文章の一部を転載するので、ご興味のある方、ぜひどうぞ。(昔の自分に読ませたいと思って)下線部は私が引きました。

 

 

「現代女性の典型は何といっても職業婦人(ないし労働婦人)でなければならぬ。彼女たちは非人情な資本主義制度の下において、宇宙の大生命と直接通じているその母性を日に日に失いつつある新しい一つの社会奴隷である。しかも職業婦人の数は何といってもふえるばかりだ。どうすることもできない。

 

男性の大部分が彼女たちの生活を支持するだけの経済力を失った以上、彼女たちは何より先に自ら生きていかねばならぬ。またたとえ彼女の父であり、夫である男子にその力があったとしても、現代の女性は自らの収入によって生活することを彼女の自由と独立とのためにその誇りのために望んでいる。こうして彼女たちはみな職業へ職業へ、社会へ社会へと走っていく。

 

外へ外へとばかり向けられた彼女たちの眼は、もう内へ転ぜられることを久しく忘れてしまった。彼女たちはどんな時も自分を反省することをしない。脚下を見ようとしない。だから彼女の生活が外的に立派そうに拡げられればられるほど、内的には貧弱になり、空虚にならざるをえない

 

旧時代の女性が愛するもののうちに彼女の自我を没入することを願い、彼女自身の姿を、その価値を愛する者の上へ見出そうとしたのに反し、現代の女性は彼女の知的、職業的能力を、社会的地位を、名声を、多額な収入を求め、そこに自己を見出そうとしている。

 

旧時代の女性の生活は家庭という小天地に限られながらも彼女たちの心霊は、恋愛と母性を通じて大宇宙の生命である底知れぬ泉に達していた。だから彼女たちの世界は間口こそいかにも狭そうに見えても、内部へはいればはいるほど広大で、豊富で、透明で、純粋で、温情があふれ、いつも沈静で無限の潜在力がある。

 

何故ならそこで彼女はもう個人的存在を超越しているから、彼女は種族であり、神であるから

 

今日の職業婦人は男性からの借りものの知識や、外的多忙のために、その女性としての本来の叡智と心霊とを濁らされ、曇らされ、生命の泉から見はなされようとしている。彼女たちの落ち着かない眼を、粗野な、空虚な、わるはしゃぎした表情を、さもなければいやに固い角立った態度を見よ。彼女の内生活がどれほど空虚であるか、彼女の神経がどれほどいたずらに外に対して緊張し興奮しそして疲労しているかがよくわかる。

 

彼女は一見いかにもしっかりとして強そうに見え、たのもしそうに見える、しかしそれは外側だけのことである。彼女は武装しているのである。去勢の場合があまりに多い。これは私が私の周囲においてこれまで何度となく見せられたことだ。これを母性がもつあの底力と比較したら何という相違であろう。

 

現代女性の悩みの最も大きなものは私がこれまでしばしば言ったとおり、結婚と職業との矛盾、母性的生活と個人的生活(または社会的生活)との衝突でなければならぬ。この根本において相容れない二つの生活に魂を裂かれながら、二重の重荷を負って、疲れ果てた神経はますますかき乱され、ヒステリー傾向に陥るよりほかない婦人の生活は確かに現代が生んだ悲惨の一つである

 

しかもこの二つの生活の調和については、今日多くの努力がそこに傾けられつつあるにかかわらず、また婦人の味方であるとされる男子によって、あるいは心の粗野な婦人によっていかにも容易そうにその可能が論じられてあるにかかわらず、おそらく真に婦人の深い魂の要求を満たしうるがごとき調和解決は永久に望みがたいことであろう。

 

今のままで進むならば、我が国においても、今後女性は資本主義の勝利とともにますます無視され、蹂躙されていくよりほかあるまい。現代の若い女性の一部にみる母性蔑視または嫌悪の思想は、家庭に対する破壊的思想は、婦人に対する資本家の利己的要求と合致するものである。こうして彼女たちは自ら知らずして、否、得意になって資本家に利用せられ、その犠牲とされることであろう

 

彼女たちが自身の内生活のあまりにも空虚なのに気づいた時、彼女たちはもう生命から見はなされているのだ

 

しかし私は現代の女性たちを責めようとは思はない。何故なら彼女たちにかかる道を選ばしたのは、また選ぶことを余儀なくさせたのはむしろ男性と男性社会の婦人に対する態度の長い誤りからきているのだから。

 

今にして母性の価値を女性自身のみならず、男性も社会も悟らないなら、人類はあまりに多くのものを失わねばならないであろう。否、人類そのものの破滅を覚悟するよりほかあるまい

 

今後の婦人運動は母性を破壊するごとき結果を導くものでなく、母性の輝きを生活のあらゆる部面に徹底させるものでなければならぬ。」

 

 

平塚らいてう著作集編集委員会 1983年『平塚らいてう著作集4』pp.46-49(大月書店)

 

消費社会のあっけらかんとしたマリーアントワネットたちが母になるときの死と再生について

  • 2018.05.10 Thursday
  • 16:41

 

S先生へ


私が書きたいのは、「大学出」の「普通」の「いい娘」にまとわりついている、「娼婦」のような部分や「暴力」的な部分のことです。

 

明治時代に日本人が決断した、世間という関係性の中での個性化という自我と自己の統合への課題であり、異なる個が関係することによる自由への道における課題のことです。

 

戦後の日本人が決断した、近代核家族という日本の歴史上初めての家族形態が目隠しをしながら必死でしがみついていた幸福ドリームの影にあったものごとのことです。

 

リースマンが言うところの他人指向的性格をもったようなマザーレスマザーに育てられた、誰のせいでもない、しかしその闇を引き受けた勇敢な子どもたちの痛みと救済のことです。

 

もはや「いいお母さん」でさえも、マザーレスマザーである時代です。これは何を意味するのでしょうか。

 

現代日本社会の犯罪の半数以上が、家庭内で起きているという事実。これは何を意味するのでしょうか。

 

社会の底にあったはずの泥は、いまや綺麗な包装紙に包まれて多くの人びとの手に渡ったかのようです。社会の底は、いまや「そこ」ではなく、「ここ」にあるのです。

 

女性活動家の主張には大きく二つの側面がありました。命の女性そのものの価値を認めようとする方向と、女性の中の男性性を認めようとする方向です。私は両方必要だと思っています。ただ、女性性を売り物にする消費社会への反動の中で、女性の男性性を認める方向が強く影響力をもった。その影響力のメリットデメリットがあるのです。

 

フェミニズムやジェンダーの空気を大きく吸い込みながら学生時代を過ごした私は、「子どもを産んでみたい」ということがどうして言えなかったのか。「結婚もしてみたい」ということをどうして言えなかったのか。「結婚するなら夫婦別姓で共働き、子どもを産んでもキャリアは継続する」という選択肢しかどうして用意していなかったのか。

 

ユングに言わせれば、女性の中の男性性の実現は中年期以降の課題です。もちろん、中年期以前に男性性を生きてはいけないということではありません。大切なのは自己一致した生き方です。私は最近、自分の中のアニムスの夢を見た。それは、私がその若かりし頃に目指した男性性とは違った。

 

なぜなら、当時の私はまだ、資本主義を批判しつつも結局は資本主義的な男性性を目指していて、その男性社会に評価されるためにこそ動いていたからです。それは私の魂の、近くて遠いパラレルなところにあった。私は他者のまなざしに動かされていたのです。本音と自己防衛が入り乱れた力のある主張はあっても、主体の声はまだまだ脆弱だった。

 

まさか、私がそんなものに動かされていたとは、誰が思ったことでしょうか。いえ、S先生は何かを感じていたかもしれない。私はそのことを悔いてはいません。そうせざるをえなかったこと自体が、私の人生前半の生き方です。

 

日本人が自我を丈夫にするということはとても難しいのです。なぜなら、日本人は自我よりも自己を大切にしようとするからです。無我を説かれる仏教がベースにあるからです。

 

自己物語論が日本の社会学に受け入れられたのも、そうした理由があったのだと思います。当時の構築主義的言説を私自身も主張する中で、どうしても払拭しきれない問題があった。それは、私の身体は社会的に構築されたものではなく本質的なものだ、私だっていつかは子どもを産んでみたい、という当たり前すぎる絶望です。

 

私は女です。私には子宮があります。私は母です。私は研究者です。私はセラピストです。これからもっと、私を彩る言葉は増えるでしょう。それでいいのです。

 

らいてうらが主張してきた女性の精神的自立のことと、命の母として子の未来を直覚し行動し、安全な器を提供するという、人類にとって最も大切なことの再定義です。

 

命を産んだ女性が生まれた命にとって大切な時期を安心できる環境で過ごす特定の時期を、夫のみによってではなく、つまり夫の職業や収入や気質や人生に左右されるのではなく、社会全体が価値づけられ支えられることの可能性を考えたいのです。そのためには女性の主体性が必要なのです。

 

母子が一体となる混沌とした時期を存分に過ごしてこそ、お互いの個が確立するのです。お互いの個を、尊重する自信と覚悟が湧き上がってくるのです。それは心がお余所にあったり、心が何かに囚われていたり、心をどこかに置き去りにしながらではできないのです。

 

これまで私は社会構造や社会制度を変革するための言葉を紡ごうとしてきました。しかし、そればかりではまだ不十分でした。あるひとりの主観へとぐっと深く落ちていくことにある普遍性を言葉にすることがあってこそ、変革は共感をもって始まると、私は信じています。

 

男性性を生きてよいという社会的なことと、命を産むのは母であるという生物のことと、命を育てるための安全な器をどう創るのかという心・物理のことと、女性が精神的自立をするという、いまを生きる女性たちの魂のこととを考えているのです。

 

私は博士論文の最後に、こう書きました。他者を「理解」しようとしない、宙づり状態に耐えることからしか「共存」は生じない、と。思いもかけず、このことは、私が業を開いた場である相談室の、最も大切な技術になっています。

 

「わからない」ことこそが、他者を尊重し、他者を価値づけ、他者を癒す。それは、私にはどうにもできないものへの、祈りであり、敬虔さなのです。

 

サル学との再会

  • 2017.06.09 Friday
  • 13:36

 

「家族とは何か」という問いと、山極寿一さんの本との再会。

 

いまは京都大学の総長も務められてる山極寿一さん。ゴリラやサルなど霊長類の研究で素晴らしい発見をされている方だ。

大学生のとき、専門ゼミの初めての個人研究発表で、私は「家族とは何か」「自己とは何か」「女性はどう生きるべきか」というような、3つの問いを提出した。この3つは、私の人生における切実な問いだった。

 

当時の指導教官は私の発表を受けて、冗談交じりに「君はサル学をやったらいい」と言われた。それを聞いた私は、「は?! サル?? なんで??」と、私の問いとサルとのつながりがさっぱりわからず、なんてセンスのない指導教官だくらいに思っていた(ごめんなさい、冗談とはいえ、とってもセンスがありました)。結局、その後の私はレヴィナスの現象学やらを経て、ゴフマンの相互行為論・演技論で卒論を書いた。20世紀から21世紀に移り変わる頃の話だ。

 

とはいえ私は、当時、出版されたばかりの山極寿一さんの『父という余分なものーーサルに探る文明の起源』という本を読んだ。その本では、「父性は人間に必要なのかどうか」という点で山極先生もまだ確実な答えを出されていなかった。まだ浅かった私には、山極先生の研究目的もうまくつかめず、さらにサル学がどうして私の問いとつながるのかがさっぱりわからなくて、その後、再び本を開くことはなかった。ただ、なぜか、幾度かの引っ越しでも、山極先生の本はなんとなく気になって処分できずに、持ち続けていた。

 

あれから20年近く経って。山極先生が2012年に出された『家族進化論』が出たのは知っていた。それでもまだ、かたくなな私は「まあねぇ、でもゴリラやサルだし」などと既存の知識に囚われていた。しかし、世界を一変するような再会はいつも突然訪れる。

 

2012年に書かれたこの本では、山極先生の研究はさらに深められていて、丁寧な観察記録・調査データをもとに、約20万年という時間幅で人間の生態について、農耕と牧畜の開始から国家の成立に至るまでの家族の歴史を考察されていて、感嘆した。もちろん、私の人生の3つの問いのレスポンスとなるような知見も書かれていた。

 

とりわけ、暴力という問題についての知見と、霊長類の父性行動の知見は興味深かった。人間の攻撃性については、狩猟生活によって鍛えられた攻撃本能が戦争につながるような人間の攻撃性を招いた(対して、農耕生活は穏やか)、という説が定着してる向きもあるが、これに異を唱える証拠を出している。要約するとこうだ。

 

狩猟生活は分かち合うこと、相手からの直接な見返りを期待しない分配と交換、権威を抑える仕組みを維持してきた。農耕と牧畜は専門家を登場させ、分業が生まれ、共同体の境界を発達させてきた。さらに、人間の祖先は進化史の大部分を狩る側ではなく狩られる側で過ごし、その社会性を大切な仲間を守るための「防衛」として発達させてきた。共感と同情に満ちた人間の行為は、その所産である。

 

共感と同情に満ちたコミュニケーションを拡大するために、人間は「言葉」をもったと考えられるが、言葉は相手の感情を大きく揺り動かしてしまうことがある。これが、残念なことに、信頼の代わりに権力やたくらみを付与してしまい、嫌悪や敵意、疑いや不安を増幅させてしまうこともある。これが国家の戦略として使われたとき、大きな戦いに発展する、と。

 

私たちは、自分の大切な何かを「防衛」しようとして、他者に対して攻撃的になるんだな。だとすれば、攻撃によってではなく何かを守ることは、どうしたらできるのだろう? って、簡単に問いにできないくらい、複雑な問題だ。なぜなら、攻撃している当人には、それは「攻撃」ではなく何かを守るための行動なのだから。例えば出産後の女性のガルガル期も、赤ん坊を守るための行動だ。

 

父性行動についても、とても興味深い考察をされている。ゴリラ、サル、タマリン等々でバリエーションはあるものの、子どもの離乳後に、オスが子育てに積極的にかかわり、そういうオスをメスが受け入れることが、子育てにかかわるオスやその集団全体を生き延びさせる結果につながる、という。母子だけに限定されていたような向社会的な行動、共感力に富み、見返りを求めずに支援の手を差し伸べる行動が、オスや年長の子どもたち、母以外のメスたちの間に広がってきたことで、人間を生き延びさせてきた、と要約できる。

 

いやぁ、サル学(霊長類学)面白い!!

 

あと最近読みたいのは、エマニュエル・トッドさん。トッドは、世界中にたまたまそのように分布したという家族形態から、社会、心、政治、イデオロギーのありようを考えている珍しい方だ。私たちの価値観をつくる家族をアプリオリなものとみなす。そうなのだ、私たちのものの見方って、たまたま生まれた家族の中で身につけていて、それはけっこう根が深いものなのだ。

 

家族が違えば、カルチャーも違う。そんな個人と個人が、出会って結婚して家族をつくるっていうのは統合とか救済とかいう話で。そこで起こるすべてのことには、意識でどうこうできる水準を超えた、人類の進化の秘密もあるような気がしてならない私です。

 

未来から来た子どもを産む

  • 2017.01.23 Monday
  • 13:32

 

私の出産、おそれを手放す、という初めての経験。

 

子どもを産むってことは、私にとって未知すぎる経験だった。産んでからは、未知に加えて、自分のよく知った過去と向き合う経験だった。

 

子どもをお腹に宿したとき、喜びとともに、実は、おそれもあった。ちゃんと産めるのか?無事に生まれてくるのか? 何か病気などありはしまいか? 私は自分の子を愛せるのか? 可愛いと思えるのか? 私は高齢出産だったから、羊水検査なんてのが情報として与えられ、頭をかすめたこともあった。数え上げたらキリがないくらいのおそれがあった。命を宿すと同時に、これまでの自分の生き方と主張をとことんまで掘り下げられ、真を問われるような経験をした。

 

あらゆるおそれのすべてをひとつの残りもなく手放せたのは、陣痛が始まったときだったように思う。私の意思とは関係なく、私を突き上げるように起こる陣痛の波に、もうすべてを委ねるしかなかった。大きな波が来るたびに、命を感じた。この子は自分で生まれようとしていると、思った。そして、私もこうやって、生まれてきたのだと知った。

 

自分の力の及ばないものごと、自分ではコントロールできないものごとがあるということ。それは一見とてもおそろしい。忘れがちだが、親密な関係にある他者もそうだ。自分とは違う自律したひとつの命はつねに、私の期待通りにはならないし、コントロールもできない。おそろしいからこそコントロールしたくなる。それが欲望の源泉だ。自分の力の及ばないものに対する敬虔さは、もっていたいと思う。その態度の先に、コントロールできないことを認め、受け入れることを通じて、おそれを手放すことができる。おそろしいものとは別の見え方をしてくる。それは時に、神秘的にも映るだろう。親密であるが不可知でもある、そんな他者なしには生きていけいない私たちの人生は思うよりも、ジョーゼフ・キャンベルが言うように「神話的」であるし、カール・グスタフ・ユングが言うように「元型的」でもある。

 

息子が生まれてからは、自分のあらゆる過去から生じる感情、言い換えれば、自分のおそれから生じる欲望、それを手放すという言葉で表現しうるような日々が続いた。何度、繰り返したことか。そうして三年が経って、命が生きるために、はつらつと生き抜くために、全生をまっとうするために、私がやりたいことできることも明確になってきた。

 

子どもは、未来を生きる存在。子どものためにと、未来の社会が変わることを願い、それを誰かがやってくれるのを待っていていいのか。「いつか」変わるではなく「いま、ここ」から変わらなければ間に合わない。子どもにとっての「いま、ここ」は親に他ならない。親から変わらないと、子どもの未来は変わらない。子どもは自分が生きるために何が必要なのかを知っている。大人はそれを察知できるように変わる。子どもは大人にしっかりと守られる必要がある。大人は守れるように変わる。過去に生きる大人と、未来を生きる子どもが、「いま、ここ」で出会う。

 

書いていて気づいたが、これは私が子どもの頃、親や大人に対してもっていた気持ちでもある。「どうしてわかってくれないの?」と、叫んでいた気がする。いま、親になって、あのときの自分の気持ちは間違っていなかったと思える。いろんな事情で、子どもの気持ちは汲まれないことがある。時代や社会や環境や遺伝や運や、いろいろな事情が組み合わさっている。ただし、そのすべてが個性になる。苦しみの種が、美しい花を咲かせる日は、きっと来る。

 

人生は思いもしなかったことが、起こることがある。そういう神秘的な、共時的なものごと。そういうものに、自分の人生は確実に影響を受けているという事実。それを深く心身で実感することによって、私は自由で自律的になれるという、パラドキシカルなこと。例えば、痛みが力に、支配が自律に反転する、そういう錬金術のようなものがあるってこと。中世の賢者や魔術師たちの身体感覚のようなものは、脈々と、私たちの中にあり続けているってこと。

 

私を女性相談の道に招き入れた須藤先生のこと

  • 2017.01.05 Thursday
  • 13:25

 

私に寿町を教えてくれた、須藤先生のこと。

 

横浜の寿町で長年ソーシャルワーカーをしていた、須藤さんという女性がいる。福祉事務所で働いていて、その経歴の全貌は知らないのだけど、母子寮やDVセンターや女性相談の仕事もされていた。私が須藤先生に出会ったときには、愛知県立大学の教授をされていた。

 

ある休日に人気のない院生室に行ったときだ。研究室の電話が鳴った。須藤先生だった。私への電話だった。「今度、名古屋市にDVセンターを創るから、そのための研究会の事務局をやらない?」という話だった。須藤先生とは、その数ヶ月前に、ほんの五分ほど話をして、名刺交換しただけの仲だった。女性支援に興味のあった私は、飛びあがりそうになりながら「やります」と返事をした。

 

当時の私は、研究に行き詰まっていた。多言語に堪能とか、計量分析が得意とか、そういう特技が私にはなかったことや、当時の社会学界と大学院制度の流れが変わりつつあったことなども、先の見えぬ不安を駆り立てた。それに、社会学は経験学とも言われる。まだ若くて経験の浅い私に書ける論文など、何があるのかと、本気で悩んでいたのだ。

 

そんな私に、須藤先生は間主観性という概念のことや、ピエール・ブルデューの実践感覚のことなどを聞いてきた。「もっと知りたい」と、わくわくしているようだった。大学生の頃から、間主観性という概念ばかりを追いかけて、でも、社会学界の多数派の見解からは「それを社会科学でどう証明するのだ?」と問いかけられ、迷いの最中にいた私に、「やっぱり間主観性を大事にしたい」という気持ちを新たにさせてくれた。

 

須藤先生の『ソーシャルワークの作業場』という本は、寿町で暮らす人たちのことを書いた本だ。「三日だけ生きたい男」とか「美しい部屋」とか「寿アルク」などのタイトルが並んでいた。生と死の境目にこれだけ深く携わっているのに、命が生まれ死にゆくという自然なことを、できる限りの手を尽くしながらもありのままに受けるというか、ちょっとうまい表現がまだ見つからないのだけど、人の人生を俯瞰して、物思いし、待つ、というようなシャーマンにも似た、そういう感覚や態度に触れたのは初めてだった。

 

DVセンターの会議のときに、当時の仕組みだと被害者の母子は別々の施設で過ごすこともあったのだが、「母子は一緒じゃなきゃいけない」という、DV支援を現場で長年やってる専門家の意見に深く頷いていたことを覚えている。当時の私はその意味がわからなかった。「相談って仕事は専門職なの」ということも、主張されていた。その意味も、当時の私にはわからなかった。

 

私の父が癌で他界し悲しみに暮れているとき、「大阪大学の西村さんの研究会でそのことを話さない?」と持ちかけてくれた。私は父の闘病生活のことを、須藤先生にほとんど話してはいなかった。私は確かに、父の看取りについて話す場を求めていた。須藤先生はそのことを知っていたのだ。

 

私は父を自宅で看取った。父の希望でもあった。ただ、自宅で看取ることは、人が病院で死ぬことを自明視していた家族や親族には理解しがたいことだった。そういう、周囲の不安を和らげ、当事者の父の思いを尊重し、病院の先生やターミナルケアの看護師たちと連携し、父が最期を過ごす環境を整えることに私は奔走した。家族に見守られながら、父は安らかに家で息を引き取った。

 

報告原稿は現象学的に記述したつもりではあったが、「あまりにも主観的になってしまったかもしれない」と私は須藤先生に相談した。そうしたら、「主観的でいいのです」と、須藤先生は言った。客観的な記述が求められる社会科学の中にいた当時の私には、まだその意味がよくわからなかった。

 

私は須藤先生に、ときどき手紙を書いた。当時の私はコラージュにはまっていて、須藤先生の手紙にも色とりどりの紙や布を使ってコラージュを施した。須藤先生は、郵便はがきに万年筆で書いた返事をくれた。「翁川さんがくれた手紙は机の前に貼ってあるの」とか、たくさんの、厚みと深さをもった言葉をくれた。

 

「今度は横浜で会いましょう」と、私が名古屋を去るときに約束して、その約束が叶ったのは数年経ってからの、去年のことだった。須藤先生との約束は、私に待つ時間を楽しみにさせてくれるもので、いつもその時は必ず来た。

 

須藤先生は、自己価値をもった女性だった。成熟した大人の姿があるとしたら、こういう人のことをいうのではないかと思った。須藤先生の言葉や感覚は、私の身体の隅々に残っている。

 

その、須藤先生と同じ、相談の道に、私もかかわることになろうとは、あのときは思いもしなかった。人生というのは、ほんとうに面白いと、やっとわかる年頃になってきた。苦しみや葛藤がいつか宝物に変わる、そのための錬金術はあると、最近、本気で思えるようになった。

 

今年の始まりはお天気も良くて、景色が美しかった。小坪のみかん投げも20年以上振りに参加。懐かしい景色を、新しい気持ちで見るのはなんだか新鮮だった!

 

出産とパラダイム転換(2)ーー母性をめぐる対立を超えて

  • 2016.10.07 Friday
  • 14:10

 

まぁ、そんなこんなで、私の産後はなかなかたいへんだったけど、それでも、子どもを産んでほんとうによかったと思ってる。私は初めて、こういう幸せを経験した。子どもの寝顔を見てるときの愛おしさといったら、言葉では表現できないくらいだ。そして、自分の人生を生きられるようになった。生きてることが楽しいと思えるようになった。ただ、さっきも言ったように、現代社会ではこの通過儀礼をスムーズにやり過ごすノウハウがほとんどなくなってるから、ご縁のあるシャーマン的な人たちのつながりに助けてもらいながら通過するとよいように思う。そういうご縁は、自分の「自覚」さえあれば、ありがたいことに意図せずともやってきたりする。

 

昔々、雑草のように生えていたものを、もう一度、大切なものとして認識し、積み上げて、創っていきたいと思っている。命を育むということを中心とした社会へ。自分を大事にすることで、多様な他者を大事にする社会へ。命の母たる女性の目線から創られる社会へ。未来から来た大人である子どもたちが、指し示してくれるものを感じ取りながら進みたい。

 

平塚らいてうさんは、こんなことを言ってる。「わたくし自身も、その昔、子どもをもたなかったころは、まったく母性というものに目覚めず、この世の中の多くの母と呼ばれる女たちが、また母性愛というものが、尊いもの、ありがたいものと思われるどころか、むしろ、愚かしいもののひとつとさえ思われ、自分が子どもなど産んで、そうした母になろうなどとは考えてみたことがなかったばかりか、自分の個性を自由に伸ばし、自分の仕事に思う存分、生き抜こうと願うわたくしにとっては、これは、同時に何よりもおそろしく、最後まで忌避していた」と。その後、子どもを産み育てることを経て、若き日の自分と同じような気持ちの女性たちに出会うと、「恋愛をなさい、結婚をなさい、子どもをお産みなさい、お母さんにおなりなさい、そうしたうえで、その母心から、母の生活体験をとおして社会に働きかけてくださいと、心から願わずにはいられません」と。

 

こういう話は、らいてうの主張の文脈を読み違えると、それこそ対立を生む。もっとも、文脈読み違えの対立は、平塚らいてうさんの時代から母性論争として与謝野晶子らとの間で繰り広げられてきて、マルクス主義フェミニズムが支持された流れとともにもはや受け入れがたい空気が今日の日本社会にある。「三歳までは神の裡」という古来からの命の育て方は「三歳児神話」として否定され、早い段階での母子分離や自立が推奨されている空気がある。こうした空気は、母性イデオロギーが国家に奉仕させられ、昭和十五年戦争に加担したという痛ましい歴史への批判に由来している。

 

間違いなく、この戦争の歴史は忘れてはならない。私はマルクス主義フェミニズムに多くのことを学んだし、それを提唱した人たちの生き方に触れ心が震えた経験もある。だけど、ずっと、腑に落ちなかったことがあった。「母性」はほんとうに悪者なのだろうか? そうではなくて、真の問題は、母親たちが「イデオロギー」によって生かされていたことではないか? 真の問題は、母親たちが精神的に自立した存在として生きれなかったことではないか? ここを読み間違えて、母性を尊重することがそのまま国家や父権を支持する態度に結びつくとベタに考えてはならないだろう。ベタに考えてしまうのは、「解離」があるからこそだ。その解離こそが、現代日本社会に生きにくさが蔓延しているひとつの理由ではないか? 命を育もうとする本能(それを社会は母性と呼ぶ)が悪者なのではない。東日本大震災を経て日本でもやっと、らいてうさんの主張を受け入れる土壌が整いつつあるように思う。

 

『チェルノブイリは女たちを変えた』という本の中で、クラウディア・フォン・ヴェールホーフは、現代社会に根付く母親への批判に対し疑義を呈している。「母親たちはちっともフェミニズム運動に協力しない。彼女たちは「女としての自己のために」力を傾けるのではなく、この期に及んでなお「他者のために」尽くしている、と。私はこうした議論をもうずっと前から知っているし、ここでいう「他者」が男性であるとき、その議論の意味するところも心得ているつもりである。こんなふうに、いつのまにか子どもと男性が同一視されるようになってしまったわけだが、私は自分で長く母親をやっていればいるほど、また母親になったその日からたえず学び、感情体験を重ねれば重ねるほど、そういう考え方を受け入れられなくなっている。だからまさしくチェルノブイリこそは、私にとって母親と非‐母親、「保守的な主婦」と「現代的な働く女性」というかつての女たちの「核分裂」を、あらためて見据えるよいきっかけになったのである。私たちはこの上さらに、いわゆる「現代的」「女性解放」「男女同権」、そして進歩という路線を、今度のチェルノブイリの一件にもかかわらず、なお推し進めていこうというのだろうか?……子どもの問題がさまざまな運動、非‐運動の中でかくも犯罪的なまでにないがしろにされているのは何を意味するのだろうか?」と。

 

らいてうもまた、「命」について、「命」の育まれる環境を整えることについて述べている。「命」が育まれる環境とは、生まれたばかりの「命」の世話をする女性たちの「命」と環境を整えることをも意味する。女性を、女性の価値観を徹底的に尊重することを主張しているのだ。らいてうの言う女性の自立とは、経済的自立を指すのではなくて、精神的自立を指す。精神的自立とは、女性が誰のまなざしによるのでもなく、自分のプシケを生きることを意味する。自分のプシケを生きることを、男性たちに伝え交渉する力を意味する。そのことによって、子どものプシケを尊重し育む環境を用意すること、それを社会に働きかけていくことを、述べているのだ。

 

出産とパラダイム転換(1)ーー置き去りにしてきた本音

  • 2016.10.07 Friday
  • 14:08

 

先日、大学で教鞭をとっていたときの学生から連絡をもらった。私が結婚して子どもを産んでいたことを喜んでくれていると同時に、驚きもあったみたいだった。なぜなら、「先生、結婚しないの〜」と若き命ほとばしる学生たちの嫌味ない素直な心から発せられるその質問に対して、私はのらりくらりな対応で明確に答えるのを逃れていたらしい。そんな学生から、「先生が結婚されて子どもさんを授かったそこまでの時間に、何があったのかとても知りたい気持ちになりました」と尋ねられた。

 

「何があったのか」と問われれば、因果論的に答えにくいのだけど、強いて言えば、魂の根っこあたりから突き動かされてるとしか言いようのない感覚があった。そう、私は、息子を「本能の衝動」といえるようなところから授かったと思っている。そのとき、私は名古屋で博士論文執筆の真っ只中で、数年間に及ぶ緻密な作業で心身ともに極限状態にあった。ふと、無性に土に触りたくなって、もう土に触らないと気が狂ってしまうと思って、あらゆる現実の状況を無視して、関東に帰ったのだった。帰ってすぐに家の庭を耕し始め、独学でパーマカルチャーを始めた。そうして間もなく、東日本大震災が起こった。ボランティアにも行った。反原発のデモにも行った。震災と同時期に私の中でも地殻変動があったのかもしれない。

 

私はフェミニズムやジェンダー論を学んできたし、産まない選択もあると思ってるし、結婚制度は女性が男性に従属するようで反対だったし、性的マイノリティに対して配慮のないところも嫌だった。子どもを産みたくても産めない女性や、望まない妊娠をした女性たちのことも気がかりだった。「本能」などは社会的に構築されたものだという見解をもっていたし、「本能」を否定したところに社会学があると思っていた。

 

だから、制度的支配からの自由と命の生き方の多様性を尊重したい私にとって、結婚して子どもを産むってことは、「してはいけないこと」になってた。さらに、子どもをちゃんと育てられるか疑問だったし、未知のこと過ぎて怖いとも思ってたし、親や社会の期待に応えるようで嫌だった。「子どもを産んでみたい」なんて本音は、どこかに置き去りにしてきてた。

 

だけど、いま、子どもを産んで、自分の人生が180度ひっくり返るようなパラダイム転換を経験したと思っている。女性にとって子どもを産むってことは、それまでの人生の続きっていうよりも、生まれ直しだったり、パラレルワールドを行き来する感じだったりがある。アイデンティティの質的変容って言ってもいい。現代社会はこれをスムーズにやり過ごすための通過儀礼が形骸化しているので、なかなかしんどい場合もあるっぽい。まぁ、私はとてつもなく、しんどかった。私の場合は、自分が背負ってきたイデオロギーや頭でっかちさがあったために、一層しんどかったのかもしれない。イデオロギーで子育てしようなんて、勘違いしていたのだ。

 

こういう、妊娠中や産後のしんどさって、平塚らいてうさんの時代からあったみたいだ。なのに、私にはちっともそこら辺の声が聞こえてこなかったのはなぜ? 社会がまだその声を受け入れる段階になかった、というのがひとつにあると思ってる。あと、女性たちのそこら辺の声を拾うネットワークや知恵は昔は雑草みたいに生えていたんだろうけど、戦後に一掃されてしまったこと。それから、妊娠から子育てが落ち着くまでは、女性たちの気づきをアウトプットする時間的余裕なんてほとんどないし、また、生物的な機能なのかもしれないけど忘れてしまいがちだってこと。などなど、理由はいくつかありそう。書かれない歴史になってきちゃったのかもしれない。

 

「空気を読む」ことが得意な日本人の生き辛さ(3)ーー「いいこ」じゃなくていい

  • 2016.08.26 Friday
  • 15:20

 

子どもは一日中、親の注意を集めながら活動している。野口晴哉さんが言ったように、親の注意を引きつけられるなら、怒られることもする。親が怒るときは、子どもにめちゃめちゃ強い注意が向けられている。でもそれは、子どもを萎縮させることもあるし、親の怒る方向へと、子どもの道を歩ませることにもつながっていく。子どもの、自発的な生き方からは、遠ざかっていく。逆に褒める場合もそうだ。親の褒められることをするようになる。それは、親にとっては管理しやすい「いい子」かもしれないけど、子どもの自発的な生き方からは遠ざかる。「いい子」をやるために、押さえつけられた子どもたちの欲求は、いつかどこかで爆発することもある。

 

夫、妻、子どもの家族モデルだと、自由に動き回るこどもに目を向けながら家事をこなすのは無理があるから、子どもに「待って」「ダメ」などと、規制しなければ家事がこなせないことばかりだ。ただでさえ、一歩家の外に出たらあれはダメこれもダメなど、まだ社会的存在でない子どもが社会のルールなんかわかるわけないのに、社会のルールで縛りつけようとする。こうなってくると、子どもの自由や自発性などどこにあるんだ? とせつなくなる。社会のルールは、それがわかる3歳を過ぎてくると、あまり教えなくても自然にわかってくる感じがある。

 

そんなわけで、近代家族モデルで育った団塊ジュニアたちは、なかなか苦しい子ども時代を送ったケースが多かったのだろう。母親ひとりで、無理なく家事と育児を、さらに社会での仕事をこなせるわけがなかったのだ。しわ寄せは子どもに行く。そこで撒かれた種は、生きづらさ問題をはじめとして、親密圏でおこるあらゆる暴力的な問題として花開き、今日、私たちの目に映っている。もちろん、簡単に因果論で説明して、団塊世代の子育てが問題だったとか、安易なことを言うつもりはない。こういう経験自体が、人類の進化のプロセスなんじゃないか、って捉え方を私はしている。

 

アイデンティティという言葉は60年代に日本にも輸入されてきたけど、なんかこの言葉は日本に馴染みがなかったような気がしている。アイデンティティ論の研究とかものすごいたくさんあったんだけど、どれもみな、アイデンティティってなんぞや?って根底的な疑問を解決しようとしてる感じで、西洋圏の人たちがアイデンティティと使うときの感じと何かまったく違う感じがあった。

 

夏目漱石が初めて自我の経験したときの葛藤みたいなものを『こころ』に書いてるけど、仏教的世界観が根づいている日本では、むしろ無我とかが大事にされてきて、自我を出すのではなく、世間に合わせたり他者を大事にして、それによって人びとは生きてきた歴史がある。たぶん、その時代は、その方が生きやすく幸せな社会だったのだろう。だから、どこらへんでなぜ日本人が自我を経験するようになったかとかは、制度でそうなったわけではなく、なんかみんなが自我みたいなものを感じるようになってきた。それはもうよくわかんないけど、共時性みたいなもので、みんなが一斉にそんな感じになった。

 

それは、個人主義と言われた西洋と、他者や世間を大事にしてきた東洋との出会いであって、陰陽の統合みたいなものなんじゃないだろうか。どっちがいい、悪いじゃなくて、両方を、中庸を行くみたいな感じ。いま、日本社会は、他者を大事にしながら、ってかむしろそのためにこそ、自分を大事にする、自分の本音を世間を意識する気持ちを発動させることなく伝えるってことが、課題になってきているような気がしている。それは、単に、何でも言うとか、主張するってのとは、ちょっと違う感じがある。心がまとまってくると、何でも言わないで済むようになってくる。

 

自分を大事にするって、もうさんざんやってきた気もするんだけど、意外と本音って言えない。意識で自分の本音を自覚することってけっこう難しい。だから本音は意識よりも先に、身体や感情から出ちゃう。私の場合は誰かに怒ったりしてるときなんかは、本音が言えてない場合がほとんどだった。本音が言えなくて、身体を壊しちゃうなんてのも、野口晴哉さんの本なんかには書いてある。やっぱり心と身体はひとつだ。

 

内ゲバとか内部分裂なんてのも、隠れ自己愛パーソナリティ障害のテーマがあるように思う。期待していたのに、そうじゃなかった、がっかりだ、それで敵対するなんてのは、まさにテーマだ。自分を大事にできていないと、他者も大事にできない。これは、いまの世界全体がなぜだかわからないけどそういう状況になってきていて、おそらくそれは生命体の進化とも言えて、その環境で生きる人間も進化の途上にあるってことのように思っている。この進化のプロセスを進めるかどうかが、交響するコミューンへつながる道のひとつなんじゃないかと思っている。

 

そうそう、らいてうさん、こんなことも言ってる。「元来母は生命の源泉であって、婦人は母たることによって個人的存在の域を脱して社会的な国家的な、人類的な存在者となるのでありますから、母を保護することは婦人一個の幸福のために必要なばかりでなく、その子どもを通じて、全社会の幸福のため、全人類の将来のために必要なことなのであります」。

 

そう、全生の子育ては私にとって地道な運動であり革命なのだ。はじめ人間ギャートルズ的な、本能的な、子どもの魂のタオを歩んでほしいって心底思ってる。自分の若き頃に、回り道をして、たくさんの痛みを経験したからこそ、私の生きた時代が、次の世代たちの肥やしになったらいい。時代が変わるってのは、これまでとまったく違うものになるとかいうんじゃなくて、これまでの時代が土台となっていて、それと地続きで、それを経ての変革なんだ。いつの間にか雑草が生い茂っているように、気づいたら変わっている。

 

「空気を読む」ことが得意な日本人の生き辛さ(2)ーー戦争のトラウマと家族

  • 2016.08.26 Friday
  • 15:17

 

で、これがなぜ戦争のトラウマなのかという話。私は戦争を知らないけど、父方の祖父は戦争に行った。たまに会っても、戦争の話は絶対にしなくて、そんな祖父が他界する半年くらい前に、私に一枚の写真を見せた。「上海で撮った」という写真には、きっちりと整列した集合写真の中に軍服を着た祖父がいた。祖父は病床で死の直前、「天皇陛下万歳」と言って亡くなった。いま思うと、祖父の人生はどれほど苦しく、自分の人生を戦争、そして世間の空気に洗脳されてきたのかと胸が締めつけられる思いがする。もちろん、日々の暮らしの中でのささやかな幸せはたくさんあっただろうけれども。山本七平さんは、みんなが相手によかれと空気を読みあった結果、誰も選択したくない戦争に突入していったと言ってるが、いまの日本にもまだ似たような空気が漂っている。

 

祖父たちの戦争体験は、当然のことながら家庭をも侵食した。我慢すること、世間に顔向けできるような「いい子」になること、こうしたことは、「立身出世」とか「末は博士か大臣か」とか「故郷に錦を飾る」とかのフレーズに象徴されている。まるでお国のための兵隊を育てるみたいだ。私の母方の祖母も、こういう言葉をよく口にしていた。祖母もまた、戦争と世間に翻弄された人生で、祖母のことを思うとほんとに泣けてくる。富士見先生、岸原先生いわく、隠れ自己愛性パーソナリティ障害の人が一流企業に入社できると一見よくなるというのは、なるほど納得がいく。学生たちが就職活動に熱心なのも、なにか、そうすると救われる感じがあるのかもしれない。世間の評価を気にする人びとが自己対象となりうるからだ。

 

戦中の「産めよ増やせよ」という国家の号令は、戦争が終わってから果たされた。団塊の世代と言われる子どもたちがたくさん生まれた。多くが、適齢期と世間に言われる年頃に結婚して出産した。私もほぼ属する、団塊ジュニアたちがたくさん生まれた。政策としても団地や集合住宅が用意され、核家族が増加した。母子カプセル、母原病、キッチンドリンカー、クロワッサン症候群など、子どもを産んだ女性、産まなかった女性の両方を揶揄し苦しめた。自分のタイミングではなく、世間のタイミングに合わせて、結婚や出産という一大イベントを経験した人が多かったように思う。

 

いま、子どもを育てていて思うけど、核家族で子育てするのはやっぱり無理がある。その無理はどこに行くかというと、一番弱いところに、つまり、子どもにしわ寄せる。家族社会学者の筒井淳也さんがついに、「私たちはいつから夫と妻と子のかたちにこれほど依存するようになったのか」という疑義を呈したけど、近代家族の乗り越えは、単に、サラリーマンの夫と専業主婦の女性を乗り越えて、共働きになれば家族問題が解決するわけではないってことを言及し始めている。夫、妻、子どもという家族モデルそのものに、無理があるんじゃないだろうか。

 

いや、女性が働く/働かないの話ではなくて、少なくとも私は、子育てが落ち着いたら労働の調整弁としてではなく女性としての自分のできることを活かして社会で働くこともしたい。でも、子育てしたいときは子育てする、子どもに気持ちを向ける余裕のある子育てをしたい、そういう自由がほしい。そういう、女性の自由って、ほんとに尊重されてるのかしら?

 

ってか、子育てって24時間労働なわけで、子育て中の女性は24時間労働してるのだというフレームで世の中見渡すと、ちょっと景色が変わる。フィンランドやノルウェーのように子育て中の女性に在宅育児手当を出す社会になったら、また、平塚らいてうさんが言ったように「妊娠、分娩、育児期における生活の安定を与えるよう国庫によって補助する」ようになったら、ちょっと景色が変わる。いや、お金じゃ割り切れない、ものすごい喜びとかもちろんあるんだけど、そこに甘え過ぎてきたのがこれまでなんじゃないだろうか。無理のある家事育児が女性へ押し付けられてきたんだけど、だからこそ、無理なく子どもを全生で育てたいという自由が保障されたい。

 

そのためには、つまり、この世界に生まれた子どもたちの魂をそのタオを生きられるように育てようとしたら、子どもの母を中心としながら、父や親族のみならず、さまざまな関係性が豊かに子どもを包み込んでいくような環境の方がよいように思うのは、きっと私だけではないはずだ。でも、現実にそれができないパターンが多いのはなぜなんだろう?

 

「空気を読む」ことが得意な日本人の生き辛さ(1)ーーひとり心理学から関係性の心理学へ

  • 2016.08.26 Friday
  • 15:14

 

最近、隠れ自己愛性パーソナリティ障害が日本社会に、特に中高年層に蔓延していると、心理療法家の富士見先生と岸原先生の勉強会で知った。パーソナリティ障害なんていうと、なんかちょっと大袈裟な感じもあるし、DSMの分類でしょ? 恣意性や政治性も感じちゃうわって思うんだけど、現代社会の問題を見えやすくするための名前づけってすると理解しやすい。D.リースマンが、他人指向型社会って分類したような感じかな。隠れ自己愛性パーソナリティ障害は精神病水準に至るケースもあるらしく、どうもかなり複雑っぽい。

 

なんでこれが蔓延してるのかっていうと、これは私の仮説なんだけど、狭義には戦争のトラウマの連鎖、広義には人類の進化過程だという気がしている。見田宗介さんが言ってたような、交響するコミューンってどうしたら可能なんだろ〜って、ずっと考えてきたけど、たぶん、ここを越える必要があるのかもって、もちろん、それだけではないんだけど、そう思ってる。

 

隠れ自己愛性パーソナリティ障害を簡単に言うと、世間の評価や他人からどう見られているかを気にして、そういうのを軸に生きていて、自分の本音を大事にできていなくてそれを他人に言葉にして言えないんだけど、暗に自分の本音に応えてほしいと他人に期待しちゃう感じ。だから、他人に期待を裏切られたときとかは、けっこうたいへんで、人間関係の危機に陥る。富士見先生と岸原先生によれば、ひと昔前に共依存と言われた類の問題は、隠れ自己愛性パーソナリティ障害という観点から捉え直した方がよくなりやすいそうだ。DVとか摂食障害とか友だち親子とか生きづらさの問題も深く関連しているっぽい。

 

規範という世間的なものが解体しつつある現代社会で隠れ自己愛性パーソナリティ障害のテーマがある人は、H.コフートが言う自己対象が得られてこなかったから、自分を認めて受け入れてくれる対象を探す迷宮にはまりやすい。本来は、母親などが子どもの自己対象となって、子どもの存在そのものを認め受けとめるのだけど、これが、幼少期になされなかったために、大人になってから自己対象を求める旅に出る。子どもがやる「見て見て!」っていうのを、大人がやる感じとかも旅の途中なのだと思う。そして、うまくいかなくて挫折する場合もある。

 

ちなみに、隠れ自己愛パーソナリティ障害は、関係性の中で取り組んでいかないとよくならないそうだ。従来の一人心理学ではなく、関係性の心理学。社会学や現象学の相互行為論なんかがやってきたことと随分重なり始める。私は相互行為論中心にやってきたし、そもそも人間が生まれ落ちるのは関係性の中であって「私」という存在を関係性抜きに考えることはできないと考えているから、一人心理学は納得できないところもあるんだけど、人間って社会的文脈だけだと説明できないものがやっぱりあって、そういうところには心理学的知見とかもしっかり取り入れたい。逆もまたしかり。

 

魂の情景

  • 2016.08.08 Monday
  • 10:08

 

逗子マリーナの公園の高台から見える景色。小学校の夏休みの宿題では、ここからの景色を毎年のように描いてた。披露山の緑が濃くて、トンビが飛んでいて、空と海が青くて。私はこの景色にはなぜかとても惹かれてきた。

 

いま暮らしている街はこの景色の向こうにある。逗子周辺の緑の濃さは何か独特のものがあって、あまりここと同じ色の緑を見たことがなかったけど、数年前に訪れた三重県の熊野に似てるな〜とぼんやり思ってた。そういえば、この辺りには熊野神社という名前の神社があちこちにある。調べてみたら源頼朝が三重県の熊野三山大明神を勧請したのだという。

 

「逗子で暮らしたい、ここで子育てをしたい」という自分の気持ちを自覚したのは、野口整体の活元運動にプロセスワークを取り入れたアートセラピーをやっているときだった。子どもが生まれてから子どもを育てるのにどんな環境がいいのか、日本各地を探して回り、ついには私の実父の故郷があるこの街に落ち着いた。

 

もうひとつ、大切な夢を見たことがある。産後1年くらい経ち、野口整体の骨盤引き締めをアロマオイルの施術とともに受けていたときのことだ。金色の胎児みたいな魂みたいなものが、無数の金色の鳥のような光に包み込まれて、朝焼けのような天空から地上に向かって飛んでいた。それが私だということは、確実にわかった。精神病水準で見た夢だ。

 

その日の帰り道に、女性活動家の平塚らいてうさんが無性に気になり、家に着いてすぐにらいてうの全集を買い集めた。平塚らいてうといえば、『青鞜』を創った中心メンバーで、婦人参政権の獲得などに尽力した人として学校の歴史で習った憶えがある。だから、彼女の全集に「母性の主張について」とか「むしろ性を礼拝せよ」なんていうタイトルがついていることはけっこう衝撃だった。学校で教えられたイメージとは全然違ったからだ。

 

いま思えば、1990年代当時の学校で教えられたイメージは、マルクス主義フェミニズムのイデオロギーを生きていたある女性教員に与えられたイメージだった。しかし、らいてうの本をよく読んでみると、らいてうはその後今日まで続くマルクス主義フェミニズムに至るような流れとは別の流れで女性解放の活動をしていたことがわかる。

 

らいてうは子どもを産んでから、「らいてうは社会活動をしないで子育てばっかりしている」と周囲の女性活動家たちから批判されたようである。だけどらいてうは、「魂の底から湧き上がってくる不可思議とでも言うよりほかない子供に対する本能の力」とか「母はこの子どもの要求を誰よりもよく知り、この子どもの個性を誰よりもよく解し、この子どもの中に隠れている天分を、その才能を誰よりも間違いなく発見し、それを導き出す霊魂の指導者とならねばならぬ」とか言うなど、命を育てることや命が育つための環境を整えることについて主張していることがわかる。

 

命が育つための環境とは、命を産む女性の環境を整えることを意味する。それは、前近代のように母が男性社会に尽くし続けることを良しとするような価値観ではなくて、女性が精神的に自立することによって、子どもも母も夫も健康で自由な生き方ができることを意味している。