出産とパラダイム転換(1)ーー置き去りにしてきた本音

  • 2016.10.07 Friday
  • 14:08

 

先日、大学で教鞭をとっていたときの学生から連絡をもらった。私が結婚して子どもを産んでいたことを喜んでくれていると同時に、驚きもあったみたいだった。なぜなら、「先生、結婚しないの〜」と若き命ほとばしる学生たちの嫌味ない素直な心から発せられるその質問に対して、私はのらりくらりな対応で明確に答えるのを逃れていたらしい。そんな学生から、「先生が結婚されて子どもさんを授かったそこまでの時間に、何があったのかとても知りたい気持ちになりました」と尋ねられた。

 

「何があったのか」と問われれば、因果論的に答えにくいのだけど、強いて言えば、魂の根っこあたりから突き動かされてるとしか言いようのない感覚があった。そう、私は、息子を「本能の衝動」といえるようなところから授かったと思っている。そのとき、私は名古屋で博士論文執筆の真っ只中で、数年間に及ぶ緻密な作業で心身ともに極限状態にあった。ふと、無性に土に触りたくなって、もう土に触らないと気が狂ってしまうと思って、あらゆる現実の状況を無視して、関東に帰ったのだった。帰ってすぐに家の庭を耕し始め、独学でパーマカルチャーを始めた。そうして間もなく、東日本大震災が起こった。ボランティアにも行った。反原発のデモにも行った。震災と同時期に私の中でも地殻変動があったのかもしれない。

 

私はフェミニズムやジェンダー論を学んできたし、産まない選択もあると思ってるし、結婚制度は女性が男性に従属するようで反対だったし、性的マイノリティに対して配慮のないところも嫌だった。子どもを産みたくても産めない女性や、望まない妊娠をした女性たちのことも気がかりだった。「本能」などは社会的に構築されたものだという見解をもっていたし、「本能」を否定したところに社会学があると思っていた。

 

だから、制度的支配からの自由と命の生き方の多様性を尊重したい私にとって、結婚して子どもを産むってことは、「してはいけないこと」になってた。さらに、子どもをちゃんと育てられるか疑問だったし、未知のこと過ぎて怖いとも思ってたし、親や社会の期待に応えるようで嫌だった。「子どもを産んでみたい」なんて本音は、どこかに置き去りにしてきてた。

 

だけど、いま、子どもを産んで、自分の人生が180度ひっくり返るようなパラダイム転換を経験したと思っている。女性にとって子どもを産むってことは、それまでの人生の続きっていうよりも、生まれ直しだったり、パラレルワールドを行き来する感じだったりがある。アイデンティティの質的変容って言ってもいい。現代社会はこれをスムーズにやり過ごすための通過儀礼が形骸化しているので、なかなかしんどい場合もあるっぽい。まぁ、私はとてつもなく、しんどかった。私の場合は、自分が背負ってきたイデオロギーや頭でっかちさがあったために、一層しんどかったのかもしれない。イデオロギーで子育てしようなんて、勘違いしていたのだ。

 

こういう、妊娠中や産後のしんどさって、平塚らいてうさんの時代からあったみたいだ。なのに、私にはちっともそこら辺の声が聞こえてこなかったのはなぜ? 社会がまだその声を受け入れる段階になかった、というのがひとつにあると思ってる。あと、女性たちのそこら辺の声を拾うネットワークや知恵は昔は雑草みたいに生えていたんだろうけど、戦後に一掃されてしまったこと。それから、妊娠から子育てが落ち着くまでは、女性たちの気づきをアウトプットする時間的余裕なんてほとんどないし、また、生物的な機能なのかもしれないけど忘れてしまいがちだってこと。などなど、理由はいくつかありそう。書かれない歴史になってきちゃったのかもしれない。

 

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