生命から見はなされつつある現代の女性

  • 2018.07.19 Thursday
  • 16:45

 

「生命から見はなされつつある現代の女性」とは、私が敬愛する平塚らいてうさんが1924年(大正13年)に執筆した原稿のタイトルだ。なんとも、ドキッとさせられるタイトルだ。

 

らいてうさんは、鎌倉の円覚寺で禅の修行をされた時期もあり、霊性についてもよく言及されている。とりわけ、母性と霊性とのつながりを主張されている。

 

いまから94年前に書かれたこの原稿の内容は、2018年現在の女性たちにいまもって響いてくるように思う。いや、いまだからこそ多くの女性たちから共感が得られる内容のようにも思う。

 

(とはいえ、第二派フェミニズムを経てジェンダー教育が浸透した現代社会では批判もあるでしょうが…。しかし、らいてう先生と第二派フェミニズムは根底では同じことを求めているのです。ただ、それが、自己防衛から出ている言葉であるかどうかの違いなのです。)

 

10年前の私が読んだら、どんな感想をもっただろう? 資本主義社会のことは共感できても、母性のことに共感できただろうか?

 

…できなかったかもしれない。そう、私も母性を蔑視とまではいかないまでも、母なるものの負の側面(甘い匂いを漂わせながら大口をぱっくりと開けて吸い寄せて自分の手足にしてしまうグレートマザー)しか経験したことがなかったから。

 

しかし、子どもを産んで、生命の深みを、母なるもののプシケの深みを(ほんの少しでも)知ってしまったいま、私は約100年前に書かれたらいてうさんのこの文章に、魂が震えるほど共感してしまうのだ。

 

ここに、らいてうさんの文章の一部を転載するので、ご興味のある方、ぜひどうぞ。(昔の自分に読ませたいと思って)下線部は私が引きました。

 

 

「現代女性の典型は何といっても職業婦人(ないし労働婦人)でなければならぬ。彼女たちは非人情な資本主義制度の下において、宇宙の大生命と直接通じているその母性を日に日に失いつつある新しい一つの社会奴隷である。しかも職業婦人の数は何といってもふえるばかりだ。どうすることもできない。

 

男性の大部分が彼女たちの生活を支持するだけの経済力を失った以上、彼女たちは何より先に自ら生きていかねばならぬ。またたとえ彼女の父であり、夫である男子にその力があったとしても、現代の女性は自らの収入によって生活することを彼女の自由と独立とのためにその誇りのために望んでいる。こうして彼女たちはみな職業へ職業へ、社会へ社会へと走っていく。

 

外へ外へとばかり向けられた彼女たちの眼は、もう内へ転ぜられることを久しく忘れてしまった。彼女たちはどんな時も自分を反省することをしない。脚下を見ようとしない。だから彼女の生活が外的に立派そうに拡げられればられるほど、内的には貧弱になり、空虚にならざるをえない

 

旧時代の女性が愛するもののうちに彼女の自我を没入することを願い、彼女自身の姿を、その価値を愛する者の上へ見出そうとしたのに反し、現代の女性は彼女の知的、職業的能力を、社会的地位を、名声を、多額な収入を求め、そこに自己を見出そうとしている。

 

旧時代の女性の生活は家庭という小天地に限られながらも彼女たちの心霊は、恋愛と母性を通じて大宇宙の生命である底知れぬ泉に達していた。だから彼女たちの世界は間口こそいかにも狭そうに見えても、内部へはいればはいるほど広大で、豊富で、透明で、純粋で、温情があふれ、いつも沈静で無限の潜在力がある。

 

何故ならそこで彼女はもう個人的存在を超越しているから、彼女は種族であり、神であるから

 

今日の職業婦人は男性からの借りものの知識や、外的多忙のために、その女性としての本来の叡智と心霊とを濁らされ、曇らされ、生命の泉から見はなされようとしている。彼女たちの落ち着かない眼を、粗野な、空虚な、わるはしゃぎした表情を、さもなければいやに固い角立った態度を見よ。彼女の内生活がどれほど空虚であるか、彼女の神経がどれほどいたずらに外に対して緊張し興奮しそして疲労しているかがよくわかる。

 

彼女は一見いかにもしっかりとして強そうに見え、たのもしそうに見える、しかしそれは外側だけのことである。彼女は武装しているのである。去勢の場合があまりに多い。これは私が私の周囲においてこれまで何度となく見せられたことだ。これを母性がもつあの底力と比較したら何という相違であろう。

 

現代女性の悩みの最も大きなものは私がこれまでしばしば言ったとおり、結婚と職業との矛盾、母性的生活と個人的生活(または社会的生活)との衝突でなければならぬ。この根本において相容れない二つの生活に魂を裂かれながら、二重の重荷を負って、疲れ果てた神経はますますかき乱され、ヒステリー傾向に陥るよりほかない婦人の生活は確かに現代が生んだ悲惨の一つである

 

しかもこの二つの生活の調和については、今日多くの努力がそこに傾けられつつあるにかかわらず、また婦人の味方であるとされる男子によって、あるいは心の粗野な婦人によっていかにも容易そうにその可能が論じられてあるにかかわらず、おそらく真に婦人の深い魂の要求を満たしうるがごとき調和解決は永久に望みがたいことであろう。

 

今のままで進むならば、我が国においても、今後女性は資本主義の勝利とともにますます無視され、蹂躙されていくよりほかあるまい。現代の若い女性の一部にみる母性蔑視または嫌悪の思想は、家庭に対する破壊的思想は、婦人に対する資本家の利己的要求と合致するものである。こうして彼女たちは自ら知らずして、否、得意になって資本家に利用せられ、その犠牲とされることであろう

 

彼女たちが自身の内生活のあまりにも空虚なのに気づいた時、彼女たちはもう生命から見はなされているのだ

 

しかし私は現代の女性たちを責めようとは思はない。何故なら彼女たちにかかる道を選ばしたのは、また選ぶことを余儀なくさせたのはむしろ男性と男性社会の婦人に対する態度の長い誤りからきているのだから。

 

今にして母性の価値を女性自身のみならず、男性も社会も悟らないなら、人類はあまりに多くのものを失わねばならないであろう。否、人類そのものの破滅を覚悟するよりほかあるまい

 

今後の婦人運動は母性を破壊するごとき結果を導くものでなく、母性の輝きを生活のあらゆる部面に徹底させるものでなければならぬ。」

 

 

平塚らいてう著作集編集委員会 1983年『平塚らいてう著作集4』pp.46-49(大月書店)

 

コメント
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< November 2018 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM