「空気を読む」ことが得意な日本人の生き辛さ(3)ーー「いいこ」じゃなくていい

  • 2016.08.26 Friday
  • 15:20

 

子どもは一日中、親の注意を集めながら活動している。野口晴哉さんが言ったように、親の注意を引きつけられるなら、怒られることもする。親が怒るときは、子どもにめちゃめちゃ強い注意が向けられている。でもそれは、子どもを萎縮させることもあるし、親の怒る方向へと、子どもの道を歩ませることにもつながっていく。子どもの、自発的な生き方からは、遠ざかっていく。逆に褒める場合もそうだ。親の褒められることをするようになる。それは、親にとっては管理しやすい「いい子」かもしれないけど、子どもの自発的な生き方からは遠ざかる。「いい子」をやるために、押さえつけられた子どもたちの欲求は、いつかどこかで爆発することもある。

 

夫、妻、子どもの家族モデルだと、自由に動き回るこどもに目を向けながら家事をこなすのは無理があるから、子どもに「待って」「ダメ」などと、規制しなければ家事がこなせないことばかりだ。ただでさえ、一歩家の外に出たらあれはダメこれもダメなど、まだ社会的存在でない子どもが社会のルールなんかわかるわけないのに、社会のルールで縛りつけようとする。こうなってくると、子どもの自由や自発性などどこにあるんだ? とせつなくなる。社会のルールは、それがわかる3歳を過ぎてくると、あまり教えなくても自然にわかってくる感じがある。

 

そんなわけで、近代家族モデルで育った団塊ジュニアたちは、なかなか苦しい子ども時代を送ったケースが多かったのだろう。母親ひとりで、無理なく家事と育児を、さらに社会での仕事をこなせるわけがなかったのだ。しわ寄せは子どもに行く。そこで撒かれた種は、生きづらさ問題をはじめとして、親密圏でおこるあらゆる暴力的な問題として花開き、今日、私たちの目に映っている。もちろん、簡単に因果論で説明して、団塊世代の子育てが問題だったとか、安易なことを言うつもりはない。こういう経験自体が、人類の進化のプロセスなんじゃないか、って捉え方を私はしている。

 

アイデンティティという言葉は60年代に日本にも輸入されてきたけど、なんかこの言葉は日本に馴染みがなかったような気がしている。アイデンティティ論の研究とかものすごいたくさんあったんだけど、どれもみな、アイデンティティってなんぞや?って根底的な疑問を解決しようとしてる感じで、西洋圏の人たちがアイデンティティと使うときの感じと何かまったく違う感じがあった。

 

夏目漱石が初めて自我の経験したときの葛藤みたいなものを『こころ』に書いてるけど、仏教的世界観が根づいている日本では、むしろ無我とかが大事にされてきて、自我を出すのではなく、世間に合わせたり他者を大事にして、それによって人びとは生きてきた歴史がある。たぶん、その時代は、その方が生きやすく幸せな社会だったのだろう。だから、どこらへんでなぜ日本人が自我を経験するようになったかとかは、制度でそうなったわけではなく、なんかみんなが自我みたいなものを感じるようになってきた。それはもうよくわかんないけど、共時性みたいなもので、みんなが一斉にそんな感じになった。

 

それは、個人主義と言われた西洋と、他者や世間を大事にしてきた東洋との出会いであって、陰陽の統合みたいなものなんじゃないだろうか。どっちがいい、悪いじゃなくて、両方を、中庸を行くみたいな感じ。いま、日本社会は、他者を大事にしながら、ってかむしろそのためにこそ、自分を大事にする、自分の本音を世間を意識する気持ちを発動させることなく伝えるってことが、課題になってきているような気がしている。それは、単に、何でも言うとか、主張するってのとは、ちょっと違う感じがある。心がまとまってくると、何でも言わないで済むようになってくる。

 

自分を大事にするって、もうさんざんやってきた気もするんだけど、意外と本音って言えない。意識で自分の本音を自覚することってけっこう難しい。だから本音は意識よりも先に、身体や感情から出ちゃう。私の場合は誰かに怒ったりしてるときなんかは、本音が言えてない場合がほとんどだった。本音が言えなくて、身体を壊しちゃうなんてのも、野口晴哉さんの本なんかには書いてある。やっぱり心と身体はひとつだ。

 

内ゲバとか内部分裂なんてのも、隠れ自己愛パーソナリティ障害のテーマがあるように思う。期待していたのに、そうじゃなかった、がっかりだ、それで敵対するなんてのは、まさにテーマだ。自分を大事にできていないと、他者も大事にできない。これは、いまの世界全体がなぜだかわからないけどそういう状況になってきていて、おそらくそれは生命体の進化とも言えて、その環境で生きる人間も進化の途上にあるってことのように思っている。この進化のプロセスを進めるかどうかが、交響するコミューンへつながる道のひとつなんじゃないかと思っている。

 

そうそう、らいてうさん、こんなことも言ってる。「元来母は生命の源泉であって、婦人は母たることによって個人的存在の域を脱して社会的な国家的な、人類的な存在者となるのでありますから、母を保護することは婦人一個の幸福のために必要なばかりでなく、その子どもを通じて、全社会の幸福のため、全人類の将来のために必要なことなのであります」。

 

そう、全生の子育ては私にとって地道な運動であり革命なのだ。はじめ人間ギャートルズ的な、本能的な、子どもの魂のタオを歩んでほしいって心底思ってる。自分の若き頃に、回り道をして、たくさんの痛みを経験したからこそ、私の生きた時代が、次の世代たちの肥やしになったらいい。時代が変わるってのは、これまでとまったく違うものになるとかいうんじゃなくて、これまでの時代が土台となっていて、それと地続きで、それを経ての変革なんだ。いつの間にか雑草が生い茂っているように、気づいたら変わっている。

 

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